吉原で遊ぶところはソープランドだけ!

吉原での遊び場がソープランドしかないってホント? - 吉原と法律の変移

吉原と法律の変移

吉原は現在、日本最大のソープ街として有名です。
そして、江戸時代の吉原遊郭から、吉原の歴史は始まった、そう思っている人も多いかもしれません。
確かに、吉原遊郭から吉原ソープに変移した事は間違いありませんが、その間に戦争、天災、法律の改訂など、様々な要因で、何度も大きなダメージを受け、その都度何度も甦ったきたのです。
では吉原と法律の変移について紹介します。
吉原と法律の変移
明治になると、文明開化が進み、吉原遊郭では、芸娼妓解放令という法律が出されました。
しかし、それで芸娼妓が実際に解放されたのか?というと、そうではありません。
行き場のなくなった芸娼妓たちは、遊郭が名前を変えた貸座敷で働き続け、結局実態は変わらないのが現状でした。
その後、第二次世界大戦で日本はアメリカに破れ、GHQの指令により、公娼廃止となりました。
ただし、吉原が消失した訳ではなく、営業形態が民営化し、特殊飲食店街と呼ばれる赤線になりました。
ちなみに当時、赤線と呼ばれていた地域は公認で売春が行われていた地域の俗称で、非公認で売春が行われていた地域を青線と呼んでいました。
売春防止法が施行
1958年になると、売春防止法が施行され、赤線が廃止されました。
その結果吉原は、衰退してしまいます。
ですが、同じ頃、新たに登場したのが、トルコ風呂と呼ばれるソープランドの原形となる店舗です。
吉原は、貸座敷から、次々に形態をトルコ風呂に姿を変えていきます。そのため吉原=トルコ風呂のイメージが定着します。
1984年になると、風俗営業取締法が大きく改訂され、規制が厳しくなっていきます。
そして、トルコ風呂の営業は、人が活動する区域では営業が不可能となりました。
吉原は、特例地域として、営業が認められています。

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